「行雲流水」と杜詩

鳴海 雅哉(函館工業高等専門学校)

明の胡震亨(1596-1645)『唐音癸籤』巻11に、次のような指摘がある。 韋荘詩の「静極まりて却って流水の鬧(さわ)がしきを嫌い、閑多くして翻りて野雲の忙(せわ)しきを笑う」は、老杜の「水流れ心競わず、雲在り意俱に遅し」に本づくも、但だ多く一嫌字・笑字を着くのみにして、真閑・真静に非ざるを覚ゆるのみ。 ここにいう「韋荘詩」とは晩唐の詩人、韋荘の「山墅閑題」(『全唐詩』巻697)を指し、「老杜」詩は杜甫の「江亭」0450(『杜甫全詩訳注』講談社学術文庫、2016の作品番号)を指す。杜詩の該当句を、佐竹保子氏(『杜甫全詩訳注』)は、「水の流れるにまかせてこれと競う心はなく、浮かぶ雲とともに気持ちは緩やかだ。」と和訳する。 これらの詩からは、「行雲流水」という成語が想起されよう。この成語は、北宋の蘇軾(1036-1101)「謝民師推官に与うるの書」の「示す所の書教及詩賦雑文、之を観るに熟せり。大略行雲流水の如く、初め定質無し、但だ常に当に行くべき所に行き、常に止まらざるべからざるに止まる。」に基づく(『漢語大詞典』)。向島成美『唐宋八家文読本6』(明治書院新釈漢文大系、2016)は、この語について次のように言う。 王水照は、田錫の「貽宋小著書(宋小著に貽るの書)」(『咸平集』巻2)に浮雲と流水を文論に用いた例があり、蘇軾がこの田錫の文集序を書いていることから(「田表聖奏議序」『蘇軾文集』巻10所収)、表現の影響関係を示唆している。 このように、この成語の出典は蘇軾を嚆矢とすると見なすことができるだろうが、成語に込められた意味合いについては、杜詩をその淵源としていると認められそうである。そこで、本発表では、主に杜甫以前の「行雲」と「流水」とが併記されている詩と杜詩のそれとを検討し、「行雲」と「流水」を描く杜詩が、蘇軾をはじめとする後代の作品に与えた影響について私見をまとめてみたい。

2022年08月14日