発表概要

銭謙益と杜詩詳註――清代禁書とその疎漏

佐藤浩一

 清代の仇兆鰲による『杜詩詳註』は、数多ある杜甫の注釈書を渉猟してまとめたテキストであり、まさに杜甫テキストの集大成だと言ってよいだろう。下定雅弘・松原朗編『杜甫全詩訳注』(講談社学術文庫)も『杜詩詳註』を底本とする。
 この『杜詩詳註』において、仇兆鰲は古今のすぐれた杜甫の注釈を次々に引用してゆく。その中で仇兆鰲がとりわけ幾たびも引用するのが、明末清初の銭謙益である。これはゆえのないことではない。大きな流れで言うと、杜甫の注釈書は宋代と清代にピークを迎えており、宋代は趙次公ら第一級の文人たちによって杜甫テキストが生まれていったのに対し、いっぽう清代は彼らに比肩する著名文人は銭謙益くらいかもしれず、この意味でも仇兆鰲が銭謙益を参照するのは自然な流れであった。
 しかし周知のとおり、銭謙益は清朝に背く者と目されて、乾隆年間にその著書は禁書処分となる。こうした動きを受けて、銭謙益の注釈を大量に引用する『杜詩詳註』においても、銭謙益というその名を削除して対応することとなった。
 ところがである。削除したはずの銭謙益であるが、『杜詩詳註』を見ると、そこかしこに削除されぬまま残っているのである。清朝における禁書処分が熾烈を極めていたことを知る我々後世の者にとって、意外というよりない状況となっている。
 これについては、曹樹銘氏による先行研究があり、きわめて参考になる。(「沈大成評点所据仇兆鰲〈杜詩詳注〉初刻足本跋及後跋》附考《本書内「銭箋」及「銭謙益曰」或留空白考》『杜集叢校』中華書局香港分局,1978年,369頁。)
 ただし、調査および考察にはやや不正確な憾みがあり、修正の必要がある。
 再調査の結果、『杜詩詳註』において銭謙益の引用は232箇所、そのうち削除されていない箇所が172箇所もあり、実に74パーセントにも及ぶ。これは一体どういうことなのか。本発表は曹樹銘氏の先行研究を補完し、さらなる考察をはかる。

2024年08月22日